
たまに昼食を買いに行く店。
テイクアウトのケバブの店。
ブログに書いても良いのかどうか本人に確認取ってないので、
仮にハッサンとしておく。
ハッサンは、トルコはアンカラから日本に出てきて、
10年ぐらいになる男性だ。そのケバブ店で働いている。
恰幅の良い体格で、全体的な雰囲気は、
分かりにくいたとえで恐縮なのだが昔のプロレスラー、
ジョン・テンタによく似ていた。
<参考画像>

コック帽をかぶった白い制服姿は、
いかにも旨そうなものを出してくれそうな、
ある意味お客に安心感を与えてくれる見た目である。
・・・が。
彼はお世辞にも愛想が良いとは言えず、
メガネをかけて淡々と仕事をこなす姿とのギャップも
またこの店の魅力なのかも知れない。
そんな彼にどうしても聞きたかったこと。
エルトゥールル号遭難事件
そのフレーズを耳にした彼は、
堰を切ったかのように饒舌(じょうぜつ)にしゃべり始めた。
あれだけ無表情に淡々と仕事をこなす姿がまるで嘘のように。
心なしか、その瞬間メガネがキラーン!と光ったような気がした。
そして、最初にハッサンの口から飛び出したフレーズ。
Kushimoto・・・!クシモトだ。
そう。和歌山県串本町。あの出来事は未だに学校の授業に出るぐらい、
みんな知ってる出来事だよ。
和歌山県串本町。
今と違い外国人に対してほとんど馴染みのない時代。
嵐に巻き込まれ漂着してきた多数のトルコ人たちに
村人たちもさぞかし驚いたことだろう。
そんな中、村人たち総出で救助にあたり、
自分たちでさえ満足に食べられない状況にも関わらず、
飼っていた貴重な鶏まで苦しむトルコ人の船員たちに提供し、
手厚く看病する村人たち。
587名の尊い命が犠牲になったり行方不明になったり、
被害は甚大なものがあった未曾有の海難事故であるが、
その甲斐あって、生存者69名が回復し改めてトルコへと帰国することに。
エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国内に大きな衝撃を呼んだが、
アブデュルハミト2世のもとでは人災としての側面は覆い隠され、
天災による殉難と位置付けられ新聞で大きく報道されるとともに、
遺族への弔慰金が集められた。またこのとき新聞を通じて
大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は
遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。
(上記wikiより引用)
話はそれだけで終わらない。
被害に遭われた方々への義捐金・弔慰金。
このニュースと共に新聞広告で大々的に呼びかけられ、
それぞれの新聞社や出版社、個人から集められたもの全て合わせて、
今の金額にして1億近い金額が集まったという。
そしてその事件から100年近く経過した、
1985年のイラン・イラク戦争。
イラクのイラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言に対し、
イラン国内に取り残された日本人が自衛隊の海外派遣不可の原則のために
自衛隊機による救援を受けられなかったうえ、
日本航空はイランとイラクによる航行安全の保証がされない限り
臨時便は出さないとするという危機的状況での出来事で、このとき、
イランの日本大使館の野村豊大使がトルコ大使館のビルレル大使に
窮状を訴えると、大使は
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。
トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
ご恩返しをさせていただきましょうとも」
と答え、大使の要請を受けて派遣されたトルコ航空機によって
215名の日本人全員が救出され、無事にトルコ経由で帰国できたことである。
(上記wikiより引用)
1985年。忘れもしないよ。
あの時、トルコの国民はみんな心配したものさ。
テレビでも大きく放送されてたからね。
あの時の大使と機長の判断は、
今でも正しかったと思ってるし、
みんな誇りに思ってるよ。
当時のイラクのフセイン大統領による無差別攻撃宣言。
それは民間機にも適用されるということで、
イランに滞在する邦人がそこで足止めされ、あわや帰国出来ず、
戦火に巻き込まれる寸前での出来事。
その時の方々にしたら本当に有難かったに違いない。
1999年に起こったトルコ大地震
1999年8月17日、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.4の地震。
死者約1万6000人、被災建物約24万4000棟など、甚大な被害があった。
トルコ北部には全長1000キロメートルにおよぶ北アナトリア断層が走っており、
この断層沿いでは過去にマグニチュード7級の地震が多発していた。
(コトバンクより引用)
今回の地震も凄かったけど、
あのトルコ大地震も凄かった。
現地のミツビシの人・・・タカハシさん(?)が、
500万という大金をキャッシュで
すぐ我々に支援してくれたんだ。あれは本当に有難かった。
残念ながら、ミツビシのタカハシさんなる人が500万円を寄付した
・・・という記事は、ちょっと調べても分からなかったが、
実際にハッサンが経験したことである。間違いなどあるはずもない。
今回の地震でも、トルコにいる家族が心配していてね。
帰れ帰れってうるさいんだけど、
そういう訳にもいかないからね。
ボクたちが地震で助けてもらったのに、
逃げることなんか出来ないでしょ。
でも・・・。
ボクはケバブを作ることしか出来ないけどね。
そう言ってハッサンは初めて笑顔を見せた。
海外・・・特にチェルノブイリ以来、
放射性物質には敏感になっているヨーロッパ。そんな中、敢えて日本に留まり、
こうして普段通り仕事を続けることで
違う形だけど日本を応援したい
・・・そのように自分は受け取った。
もっと詳しく話していたかったが、
忙しい昼時に加え、なかなかに人気店でもあり、
後からお客さんが来たこともあってこの辺で退散することに。
また来てね。今度はもっとサービスするよ。
そう言ってハッサンはさっきよりも大きく笑って見せた。
<関連した日記>
・【海外の反応】おれ も にほん つき です!
・【海外の反応】トルコ人
「世界で一番好ましいのは日本人だ」
・・・忘れない120年前の出来事





東の太陽、西の新月 日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件
・トルコ人「絶対に忘れない」 日本とトルコの友情の歴史にトルコ人感動
(パンドラの憂鬱さま)
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まぁ自分の先祖が当時すでに串本に住んでいたかどうかは分からないんですけどね(笑)
コメントありがとうございます。
本当にトルコの人は、ほとんど串本を知ってると言って過言ではないんですよね。
残念ながらこのようなお話も、
日本人にはあまり知られてないのが現状ですが。。。