2007年05月28日

いつか見た青空

aozora1.bmp


昨日…というか、
今年に入って一番ショックだったこと



俺には同い年の幼馴染みでK君という人がいた。


その彼とは小さい時から実によく遊んだ中で、
お互い『初代ファミコン世代』ど真ん中なこともあって、
互いの家を行き来しゲームをやったりしていた。
きちんと「自分の部屋」を持っていた彼の家に
行くことの方が圧倒的に多かったが。


また、俺とは違い運動神経も抜群で活発な子だったので、
原っぱでゴムボールを使った野球をやったりもした。
そして、ゲームも上手かったが同じように野球も上手かった。


その上、明るくひょうきんな性格でもあったので、
彼の周りには常に人が集まっていた。



一方、俺は内気で運動音痴で友達も少ない、
彼とは全く対照的な子供だったので、
普通だったらとても性格的に合うはずがないのだが、
逆にそれが良かったのか不思議に仲が良かった。


そんな彼は、
少々複雑な家庭環境だったこともあり、
親の都合などで小学校の卒業を待たずに都会へと
引っ越して行ってしまった。


その後、何度か年賀状のやり取りをしたり、
地元にお祖父さんとお祖母さんが住んでいるので、
帰って来た時に一度か二度ほど会ったぐらいで、
それ以降は、もう何年もご無沙汰をしていたのだった。


そして、今日。


久しぶりに、
その彼のお祖母さんに近所のスーパーで会った時に、
何の気なしにK君の近況を聞いたのである。


そのお祖母さんの口から出た言葉。


K君は死んだ。


交通事故だった。


自分で車を運動していて、
スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れずに…だったそうだ。



そのお祖母さんには、
何てお悔やみの言葉をかけて良いか分からなかった。
順番で行けば自分が先に逝くべきところを、
自分の息子(K君の父親)を病気で亡くし、
そして今度は孫を事故で亡くしてしまったのだ。


そして、更に辛かったのは、
彼には結婚を控えていた女性がいたということだ。


このことを聞いて、本当に胸が痛んだ。
その相手の女性の心中は察して余りある。
どんな言葉を持ってしても表現なんか出来やしない。


そんなK君のせめてもの救いは、
完全な自損事故で「誰も被害に巻き込まなかった」ことだった。


誰も巻き込まずに死ぬ。

何もこんなことまでK君らしく死ぬなんてなあ。
明るくてひょうきんで誰からも好かれる子だったけど、
最後の最後まで優しくて、気が利くヤツだったなあ君は。


俺なんかとても彼の足元にも及ばない、
取るに足らない人間なのに。
だが、そんな人間でもこうして生きている。
片や誰からも好かれ愛されていた人間の命を奪う。
本当にこの世には神も仏も居ないのか。


「あいつの分まで生きる」なんて陳腐なセリフは、
今の俺にはとてもおこがましくて言えない。


だから、せめて彼に笑われないように、精一杯生きよう。

一所懸命生きよう。いつかまた会える時のために。



何だかまだ頭が混乱しているけど、
最後に心の底から彼のご冥福をお祈りします。


合掌。

posted by RT at 12:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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