つい最近、近所の路上にてフェレットの死体が転がっていた。
恐らくその可哀相なフェレットの飼い主は、
死んでしまったから処理に困ってそのまま
ゴミでも捨てるような感覚で、そこに放置していったのだろう。
俺は、余りにもその哀れなフェレットを見るに見兼ねて、
近所の川原の邪魔にならない場所に埋めてあげた。
恐らく生きているうちは、
毎日「可愛い可愛い」と言われながら飼われていたのだろう。
もうカチカチになってボロ雑巾のように捨てられた、
冷たい身体を見てると少し涙が出てきた。
しかも、その子は目を閉じることも許されず、
その目は悲しく見開かれていたのだ。
俺の住んでいる所は、割りと交通量の多い道路があって、
猫とかはよく轢かれていた。
俺の飼っていた猫もそうやって俺の前から消えて行った。
せめて寿命を全うさせてあげたかった。
猫たちの無念さがよく分かるから、今回のフェレット同様、
道路に放置されてる彼らを見るに忍びない。
役所の人間が来る前によく片付けて埋めてあげていた。
今回に関しても、キチンと火葬して
ペット用の墓地に埋葬しろとは言わない。
せめて「家族として」可愛いがったんだから、
最後の最後まで面倒を見てあげるのが人間としての道理というか、
ごく当たり前のことだと思うのだ。
それすら出来ないのなら、最初から動物を飼うな。
俺だって、人のことをああだこうだと言えるほどの善人ではない。
むしろただの偽善者かも知れない。
だが、それでも動物虐待のニュースを見たり、
路上に放置されてる動物を見たりして、痛む心ぐらいは、
少しは持っているつもりだ。
このフェレットだけでなく、色々な訃報があったりと、
天気は良いが、それに反比例して気持ちは落ち込む。
だが、下を向いてばかりもいられない。
まだ週は始まったばかりだし、何とか空元気でも出して
明日もやるしかない。そう思う今日なのだ。